お姫様・王子様理論

 

 暗い記事ばかりなので明るい記事でも。

  少女革命ウテナの考察を見ていて、実は私は先のコミティアで「虹のプロメッサ」なる王子様に恋心を寄せる話をちょっとだけ書いた自分としては興味深い話でした

 

 

 思えば、ウテナは「王子様」を意識している時点で女の子らしいキャラでしたね。

 私がこの話で意外に思ったのは「王子様」の「妹」である以上アンシーは「お姫様」になれない、だから「魔女」になるしかない。という話でした。

 

 これは意外です。

 というのも、メインヒロインというのはけして主人公と結ばれなくても「妹」としている話は少なくありません。

  だというのに「お姫様」になれないというのです。

 これは「お姫様」=メインヒロインではなく「お姫様」=「王子様と結ばれる可能性のある人物」と限定しているのではないでしょうか。

 ディオスは「すべての(妹以外)女性」を救わなければならない、それは結ばれる可能性があるという事でした。

 

 また、王子様はウテナとの会話を見れば解りますが「気高い人物である」とされています。

 では気高さとは何でしょうか。

 

 この作品で王子様は二人います。

 一人はディオス、もう一人は瑠果です。

 

 

 そして、ウテナという姫を救った後ディオスは消え、同じように瑠果も命を落とします。

 映画版では冬芽が消えていますね。

 そう、この世界では王子様はお姫様と両想いになったところで消えてしまいます。

 

 そう、この時点で矛盾しているのです。

 お姫様を救ったらその時点で結ばれるはずなのに、なぜか自分が命を落とす。

 というこの矛盾。

 けれど、この矛盾はけしてわざとであって、監督が考えていないとかそういう訳ではありません。

 

 

 さて話を変えましょう。

 ウテナの世界は「幻想」です。

 その中で「アンシー」だけが「現実」なのです。

 

 見ている視聴者でさえもその幻想に取り込まれます。ウテナの視点に立って私たちは見ることになりますが、実際は登場人物である彼女らはモラトリアムを味わい、その中で大人になります。

 この世界からいなくなること=卒業=現実を見る、というようになっています。

 つまり奇跡の力ではなく、自分の力で願いを叶えることこそが箱庭=学園=幻想から出る手段となるのです。

 

 ウテナの王子様理論で「ウテナは王子様になった」「王子様にならなかった」の2説がありますが、私は極論から言ってしまえば「どちら」も正解であると思えます。

 ウテナは王子様にはならなかった。けれど、アンシーだけの王子様になったから消えたというのがおそらく正解でしょう。

 どういうことだ?と言われると、「ディオスにとってアンシーは姫ではない」だから救えない。

 そして「女である以上王子様にはなれない」ということになっています。

 

 それは女性であるからこそ、アンシーとは結ばれない。という事。そして、女である以上「何らかの愛に縛られる」ということがストーリーで表されています。

 アンシーは現実を表す人でもありますが、同時に「男性に求められる女性像」としても表されています。

 求められる役割を行う事=バラの花嫁=男にとっての恋人、妻、というのが表されているのがこの作品。

 今現在こんな作品やってしまえば男尊女卑だと言われそうです。

 けれど、男から求められれば女性は愛しているがゆえに自分を捻じ曲げて相手に合わせてしまう、ウテナもいつかそうなってしまう。そうディオスは思ったのでしょう。

 一見自由奔放に見える梢ちゃんや枝織でさえ「愛」によって縛られ自分を捻じ曲げまげています。

 愛されるためにどうすればいいのか、相手に合せるか、自分だけを見てもらうために狂うか。どちらにしろこの作品ですべての女性が薔薇の花嫁なのです。

 

 ここで話を戻して「王子様が消える」という話ですが実はこれは古今東西珍しい事ではありません。

 「お姫様」は「王子様」がいるからこそ成り立ち、「王子様」は「お姫様」がいるからこそ成り立つ。どちらか片方がいなければ物語として破綻します。

 これは身分や血筋の問題ではありません。

 あらゆる勇者物語も同じことでしょう。マリオのような続編はともかくとして、「王子様」は「お姫様」を魔王から救った時点でその世界は終わります。

 あるいは「王子様」は「お姫様」と結ばれた時点で物語は終わります。それは世界の終わりです。

  

 「王子様」であるだけで「お姫様」は愛され、「お姫様」は「王子様」であるだけで愛されるのです。

 努力も何もなくいきなりお互い好きになり、結婚し、子供を産む…。あまりにも都合がよすぎませんか?でも話は成り立ちます。

 そしてそれだけの為に存在し、物語はいきなり終了を終えるのです。

 

 

 つまり「王子様」という役目を終えるということは「物語が終わる」=「世界からいなくなる」ことと同意義なのです。

 

 

 これに対して人魚姫は「王子様・お姫様理論」のアンチテーゼともいえるでしょう。

 

 人魚姫はよく「隣国のお姫様」が悪人として持ち上がりますが実際は違います。

 隣国の姫は確かに命は救ってはいないものの「恩人」であり、ここでの彼女の「お姫様」という設定はあくまで「身分を釣り合わせるもの」として使われているのです。

 王子様もずっと介抱してくれた彼女を愛しており、助けて少しだけしかいない人魚姫よりも辛い時に助けてくれてずっと一緒にいてくれた隣国のお姫様を愛し、その感情を募らせたというのはどう考えても「真っ当」であると思います。

 またこのお姫様、悪人に思われがちですが凄いいい子なんですよ、人魚姫にも優しくしてくれます。

 人魚姫がいなくなったら「王子様と一緒に探す」とか普通にしてくれるし、ディズニーがあまりにも大きすぎて誤解されがちですが、原作の彼女はほんとーにいい子なんで……

 

 つまり「お姫様」だからといって愛されるわけではない。「王子様」に必死で努力しても、さらなる努力をした「もう一人のお姫様」が愛されるという、ファンタジーに見えてこの上ない「現実」を書いているのがこの人魚姫という話。

 

 思えばラノベのハーレム主人公も特に理由はないのに好かれるという点に関しては現代の「王子様」と言ってもいいかもしれません。